「60・90問題」を迎える前に始めたい家族の対話
建築や不動産の知識を活かして、皆さまの家づくりをサポートしている私ですが、最近、ある切実な相談をよく受けます。
それは、自分たちの住まいではなく、今ある「実家」のこれからについてです。
「親も高齢になってきたし、実家に帰るたびにモノが増えていて気になる。でも、親にどう切り出していいか分からない……」
そうおっしゃる方は本当に多いです。実家の問題は、単なる手続きではありません。家族の歴史や思い出が絡むからこそ、つい「まだ先のこと」と後回しにしてしまいがちですよね。
しかし、今の時代、実家の相続は「元気な若者が引き継ぐ」という形ではなくなっています。
後回しにすると対応が難しくなる「実家問題」について、最近のニュースもヒントにしながら、今からできる現実的なステップを分かりやすく考えていきましょう。
地球規模の危機と「喉元すぎれば暑さを忘れる」人間の心理
最近のニュースを見ていて、私たちが陥りがちな「ある心理」について深く考えさせられたことがあります。
現在、スペインやフランスなどのヨーロッパでは、命の危険を感じるほどの熱波が押し寄せています。現地は本当に深刻な状況です。あちらでは美しい街並みを守るためのルールが厳しく、壁にエアコンの室外機を設置できない地域が多くあります。そのせいでエアコンがあまり普及しておらず、40度を超える猛暑の中で多くの方が熱中症で亡くなっているのが現状です。
さらに、地球規模の異常気象である「スーパーエルニーニョ」の影響も出ています。特に気になるのは農業へのダメージです。日本も小麦の多くを輸入しているオーストラリアなどで、収穫量が大幅に減るという見通しも出ています。遠い国の猛暑は、めぐりめぐって私たちの食卓の危機へとつながっているのです。
これらは間違いなく、地球温暖化の影響でしょう。しかし、私たち人間の心理には、少しうっかりした特徴があります。
猛烈に暑いその瞬間は、誰もが「本当に温暖化はやばいよね。何か行動しなきゃ」と危機感を持ちます。しかし、秋を迎えて過ごしやすい季節になると、あの時の焦りはどこへやら、すっかり忘れて日常に戻ってしまう。
「喉元すぎれば暑さを忘れる」
昔の人はよく言ったものです。しかし、この「忘れてしまう心理」のまま問題を先送りにしていると、ある日突然、大きな負担となって跳ね返ってくるものがあります。それこそが、今日の本題である「実家問題」です。
相続する側もシニア世代。「60・90問題」のリアル
「実家のことは、親に万が一のことがあったときに考えればいいや」 もし、そんな風に考えているとしたら、少しだけ現実の数字に目を向けてみてください。
いま、医療の発展で人間の寿命はとても伸びました。それに伴って起きているのが、いわゆる「60・90(ロクマル・キューマル)問題」です。
90代になった親を見送るとき、その実家を引き継ぐ子ども世代は、すでに60代を迎えています。つまり、引き継ぐ側も仕事の定年を迎えたり、自分の健康に不安を覚え始めたりしている「シニア世代」なのです。
想像してみてください。還暦を過ぎ、自分の体力も落ち始めている時期に、実家に何十年も積み重なった膨大な荷物を片付ける姿を。それは単なる力仕事の枠を超えています。さらに、複雑な相続の手続きや、不動産会社との交渉もこなさなければなりません。これは本当に大変な苦労です。
「いつか考えよう」と先送りにし続けていると、いざその時が来たときに、あなた自身が心身ともに限界を迎えてしまいます。これが、現代の日本が抱えるリアルな課題なのです。
「とりあえず放置」が一番危険。実家がたどる悪循環
親が施設に入ったり、亡くなったりしたあと、「まだどうするか決めていないから、とりあえずそのまま残しておこう」と考える方は非常に多いです。実家を取り壊すのにもお金がかかるし、売るにしても踏ん切りがつかない。だから「とりあえず空き家で」という選択です。
しかし、家づくりのプロから見ると、この「とりあえず放置」こそが一番避けたい選択肢です。
家というものは、人が住まなくなると、驚くほどあっという間に傷み始めます。毎日、窓を開けて空気を入れ替え、水を流すことで、家は良い状態を保っています。それが途絶えた途端、家の中にはカビが広がり、柱はシロアリの被害に遭い、湿気で床が腐っていきます。
それだけではありません。手入れのされなくなった庭には草木が生い茂り、害虫が集まったり、ゴミを不法投棄されたりすることもあります。近隣住民からの苦情が相次ぎ、地域の防犯上の問題になってしまうことすらあるのです。
さらに大きいのは経済的な負担です。たとえ誰も住んでいなくても、毎年の固定資産税はきっちり請求されます。荒れ果てた実家を見回るための交通費や、業者に草むしりを頼む費用だけが、あなたの財布から引かれ続けていくのです。気づいたときには、価値を生み出すどころか、大切なお子さんの代にまで負担をかけ続ける「お荷物」になってしまいます。
選択肢は3つだけ。「住む」なら本気の断熱・耐震を
では、私たちは実家をどうしていけばいいのでしょうか。難しく見えますが、実家のこれからに残された選択肢は、大きく分けると次の3つしかありません。
・住む: あなたやあなたの家族がその家に暮らす
・貸す: 最低限のリフォームをして、誰かに賃貸として貸し出す
・売る: 不動産会社に依頼して、売却するか土地として手放す
この3つのどれを選ぶにしても、それぞれの準備が必要になります。 もし、思い出のある実家に「自分たちが住む」という選択をするのであれば、リフォームの計画は慎重に進めてみてください。
ここでよくある失敗が、壁紙を新しくしたり、最新のキッチンを入れたりして「見た目だけを綺麗にするリフォーム」で満足してしまうことです。日本の古い家は、基本の性能が現代の基準に達していません。冬は凍えるように寒く、夏はエアコンが効かないほど暑い。そして何より、大きな地震が来たときの不安が消えないのです。
見た目だけを整えたリフォームでは、かつて親が耐えていた「住みづらさ」を、そのままあなたが引き継ぐことになってしまいます。もしこれからも長く住むのであれば、目に見える装飾ではなく、今の住宅基準に合わせた「断熱」や「耐震」の補強といった、見えない土台の部分にしっかりとお金をかけることをおすすめします。
逆に、どうしても住むことも貸すことも難しいのであれば、思い切って「畳む(売却・解体)」ことも立派な、そして前向きな選択肢です。実家を手放すことは、親の人生や思い出を否定することでは決してありません。将来の家族のトラブルや、子ども世代への負担を未然に減らすための、大切な決断なのです。
感情論にしないために。プロの「建物診断」という選択肢
頭では「どうにかしなければ」と分かっていても、いざ家族会議を開くと話がまったく進まない……というのは、本当によくあることです。
「まだ使えるから残しておきたい」と言う親。 「こんなに古い家、維持できないよ」と現実を伝える子ども。 「思い出の部屋を無くしたくない」と寂しがるきょうだい。
家族間だけで話し合おうとすると、どうしても思い出や意地が入り混じり、最終的には感情のぶつかり合いになってしまいます。「もうその話はするな!」と親が怒り出し、結局また問題が先送りされる……。これでは「喉元すぎれば」のループから抜け出せません。
そんな話し合いの行き詰まりを避けるために、ぜひ取り入れてほしいのが、プロの目を入れるという選択肢です。具体的には、建築士などの専門家が行う「建物診断(ホームインスペクション)」を利用してみてください。
第三者であるプロが家全体の傷み具合をチェックし、客観的なレポートを出してくれます。
・そもそも、この家はあと何年持たせられる状態なのか
・もしこれから安全に暮らすとしたら、工事にいくらかかるのか
・売却するとしたら、どれくらいの価値が残っているのか
これらをすべて、感情を抜きにした「数字」と「事実」としてデータにしてもらうのです。 専門家の意見をベースにすれば、「残したいけれど、これだけ修繕費がかかるなら手放したほうが現実的ね」と、家族全員が驚くほど冷静に話し合えるようになります。身内だけで悩む前に、まずは建物の現状を知るための調査をプロに依頼してみるのがおすすめです。
おわりに。次の帰省、まずは「一緒に片付け」から始めよう
親が元気なうちにしかできない会話が、確かにあります。
もし、あなたの実家が少し離れた場所にあるならば、今度やってくる帰省のタイミングを、未来を変えるチャンスにしてみてください。
その際、注意してほしいのは、実家に到着していきなり「この家、将来どうするの?」といった、重くて大きな結論を迫らないことです。そんなテーマを急に投げつけられたら、親御さんも身構えて心を閉ざしてしまいます。
そうではなく、まずは「物置のあそこ、少し整理しようか」「昔のアルバム、一緒に見ようよ」と、目の前の小さな片付けを一緒にやることから始めてみてください。
使っていない部屋の小さな引き出しを一つ片付ける、といった簡単なところから手をつけるのがコツです。手を動かし、古い道具や思い出の品に触れながら、「これ、あの時は楽しかったね」「これからはどんな風に暮らしたい?」と、少しずつ将来の希望や不安を言葉に紡していくのです。
後回しにすれば、実家はいつかあなたや家族を悩ませる「厄介ごと」になってしまいます。しかし、親が元気で、話し合える体力が残っている今のうちから早めに向き合えば、それは必ず「家族全員の未来の安心」へと変わるはずです。
暑さを忘れてしまう前に、大切な家族のために、まずは小さな一歩を踏み出してみませんか。


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